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形旅『山笑う(山桜)』@茨城県笠間市

  • 執筆者の写真: 園家 悠司
    園家 悠司
  • 2023年4月7日
  • 読了時間: 2分

ここ数日の強風で今年の桜は早くも見納めとなったかもしれませんね。

山と言うにはどうも丘のような低山ばかりの茨城県笠間に正岡子規が「故郷や どちらを見ても 山笑う」と詠んだ景色がそのままそこにあるようなのどかな山桜の景色が広がっていました。

田んぼの奥、畑の隙間から見える山桜はどれも繊細で淡く、河川敷に整列した桜並木とはまた別の趣きが感じられます。ピンク、薄紅、紅など色合いも疎らであるせいか、周りの緑や黄緑の樹木まで一体の美しさを醸し出していてとても柔らかで温かい風情と共に、何かモコモコとした可愛らしさがありました。


「山笑う」とは俳句の春の季語で、11世紀中国北宋の画家 郭煕(かくき)の画論『臥遊録』の「春山淡冶にして笑うが如く(略)」という一節が由来とされています。郭煕の評した風景が山桜であったかは定かではありませんが、低山故に頂上まで山桜にすっぽり覆われる様は、正に山笑うです。

都市部は平野に集中しますから、日頃なかなかこういう風景には出会えないかもしれません。山桜を見るに「春」が一面ピンク一色に染まることのみを指すのではないと気付かされます。それどころか返って桜並木というものの整然さに少し違和感さえ感じます。


正岡子規は与謝蕪村の句「春の水山なき国を流れけり」の"山なき国"という文言を否定しました。これは地図的心象(地理的な知識・状況)に頼ると絵画的心象(人の記憶へ連動し、情景を想起すること)を呼ぶことなく、つまりは句から先の連想が生まれず、これを「写生」的ではないと評しました。これについて「即物的な景色を格好良く捉えることは本質的には”形”を捉えることにはならない」ということを示唆していると私は解釈しています。

遠く山桜を見ていると「季節・郷愁」というものはやはり"山"を通してこそ見えるものなのではないかと思うのです、たとえ関東平野のど真ん中に居たとしても。



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