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形旅『野島崎』@千葉県館山市(房総半島最南端)

  • 執筆者の写真: 園家 悠司
    園家 悠司
  • 2023年4月25日
  • 読了時間: 1分

野島崎は島なのか崎(岬)なのか?伊豆半島を乗せたフィリピン海プレートと東日本を乗せた北米プレートの結節点間近の位置に房総半島南部はあります。房総半島南部(安房)は地震や津波の影響で過去に何度も土地の隆起と沈降を繰り返しています。最新の地震は1703年の元禄地震です。この時の影響で安房北部の海岸が沈降(内房の鋸南町、外房の鴨川町)、それら以南の海岸線は概ね隆起して、階段状の地形”海岸段丘”をつくりました。千葉県最南端の野島崎も元禄地震の影響で4~5m程地面が隆起したそうです。

元禄地震時のことだったかは定かではありませんが、「野島」と呼ばれていた孤島が地震により陸地と繋がり、「野島崎(岬)」になりました。


江戸時代中期以降、「外海江戸廻り」という東北から下田までを結び、東京湾へとって返す航路があり、野島崎沖は銚子港・下田港間の中でも波の荒い海域であり海難事故が頻発するエリアでした。そのため、幕末期に西洋式の灯台が日本で2番目に早く建てられました。白亜の八角形をした大型灯台は江戸条約灯台の一つで、国の登録有形文化財にも登録されています。



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