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建築探訪『本願寺伝導院(伊東忠太)』@京都市下京区

  • 執筆者の写真: 園家 悠司
    園家 悠司
  • 2023年4月19日
  • 読了時間: 2分

1911年竣工の現・本願寺伝導院(旧真宗信徒生命保険株式会社本館)を設計した伊東忠太は、その2年前の1909年に『建築雑誌』にて「建築進化論」を発表しています。本願寺伝導院はこの論文に基づく氏の初期の代表作であると「HP:文化遺産オンライン」にて紹介されています。「建築進化論」は材料と意匠(様式)から建築の歩みを論述したもので、当時の日本は段階的に言えば原始時代の次の「木材時代(第二期)」だと評されており、今後(明治以降)は3木石混合・4石材・5鉄材の時代に入っていくと述べてられています。

これは”公の施設のみ”に言えることなのかもしれませんが、私なりの見方としては明治期はまた一層"日本が重くなった時期"と言うことができると思います。建物につけ、橋につけ、鉄道につけ、船につけ、どれもが石や鉄により大重量化しました。


例えば重さ=鉄と捉えた場合、日本の重量化のタイミングというのは過去にも何度かありました。古代出雲族の製鉄技術、室町時代の鉄砲伝来、そして明治以降の近代期。これらの出来事によりその都度、局地的にではありますが文明の発展速度が急速に早められました。

伊東忠太の生きた近代黎明期は、局地的な技術躍進と市井の生活水準の差が最も大きかった時期でしょう。そんな中で"日本の近代化"の形(様式)を模索した彼らの世代の苦労はどれ程のものだったでしょうか。当時なりの「和魂洋才」を体現した様式が例えば、上野の東京国立博物館のような帝冠様式だったのだろうと思いますし、その後も歴代の日本建築家がこの問題に取り組んで来られたように思います。


京都の歴史ある木造の市街地に建つ石造の重厚な本願寺伝導院を見ていると、次にくる日本の重量化のタイミングはどのような形で何によるものなのかと考えてしまいます。



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