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形旅『嵐山』@京都市西京区

  • 執筆者の写真: 園家 悠司
    園家 悠司
  • 2023年4月20日
  • 読了時間: 2分

西暦800年代初頭、桓武天皇の頃に桂川の西側にあった長岡京から現在の京都市街地に都が移されました。その時桓武天皇が嵐山に訪れたことから、都の景勝地として親しまれるようになりました。

嵐山と言えば、春の桜・秋の紅葉、桂川に架かる渡月橋、嵯峨野の竹林ですが、これらは少しずつ嵐山の地に集められてきたそうです。遷都の後、同七世紀に僧侶が唐から孟宗竹を持ち帰りました。桜は鎌倉時代に後嵯峨上皇がこの地に別荘を造った際に吉野山から山桜が持ち込まれました。渡月橋は元々現在よりも200m程上流にあったそうですが、江戸時代のはじめ頃に現在の位置に移ってきたようです。


今回の写真を撮ったのは秋ですが、もしかしたら京都へ遷都の折、桓武天皇が見たのはまだ何も移されて来ていないこの紅葉の山だったかもしれません。また嵐山は長岡京のすぐ北に位置していますので、長岡京の人々はすでによく知っている山だったのかもとも想像します。嵐山は長い歴史が幾つも重なって出来上がった京都らしい景色だと言えそうですね。古来より歌にうたわれ続けてきたのも頷けます。景勝地とは「景色や風景が優れている」という意味ですが、実はかなりの景勝地が人が長年手を入れ続けた(手塩にかけた)結果の風景なのかもしれませんね。



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