形旅『稲田御坊西念寺』@茨城県笠間市
- 園家 悠司

- 2023年4月28日
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茨城県笠間市稲田郡に浄土真宗の親鸞聖人が長らく住われていたことをご存知でしょうか。京都より下向して東国布教20年間の中で最も長く滞在された布教の拠点が稲田の地でした。浄土真宗は元々京都で法然が市中の人々に布教を始めました。親鸞はその弟子として更に法然から授かった教えを広めるため、妻子(妻は恵信尼)を連れて東国へ行きます。親鸞は京都から遠く離れた関東で「京都とは全く文化が異なるが浄土真宗の教えは通用するのか?既に他の宗教が乱立しているけどやっていけるのか?妻子持ちの僧侶が受け入れられるのか?」といった課題に取り組みます。稲田に来る前に群馬県板倉町の佐貫や茨城県下妻市の小島などに草庵構え布教を始めました。その後、茨城県笠間市稲田郡の稲田頼重(鎌倉武士)に招かれ稲田に草庵を構えます。
何故、稲田が拠点になったのか?稲田郡のあった常陸国(茨城県)は太平洋側をを流通する海の要衝地であり、関東でも随一に繁栄した地域だったからだと言われています。稲田は街道沿いの宿場町で人通りが多く、近くの稲田神社(大神)は鹿島神宮と並ぶ常陸国七大神社の一つに数えられ、当時から賑わっていた場所だったそうです。
武蔵国(江戸・東京)とはまた違う、もう一つの関東の大文化圏を常陸国では感じることができます。











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