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形旅『豊葦原(トヨアシハラ)』@千葉県手賀沼

  • 執筆者の写真: 園家 悠司
    園家 悠司
  • 2023年4月10日
  • 読了時間: 1分

縄文海進の折、現利根川流域の千葉県香取市付近を中心に北は茨城県の霞ヶ浦と北浦、西は印旛沼と手賀沼を繋ぐ「香取ノ海」という大きな湾がありました。その後海の後退から取り残される形で手賀沼はできました。当時は平仮名の「つ」の字型の湖でしたが干拓が進み、今では北西部の手賀沼(上沼)と南部の下手賀沼(下沼)に分けられ、二つを手賀川が繋いでいます。旧香取ノ海周辺には古墳群や丸木舟が発見されており、古代より海上貿易の要衝であったことが窺えます。

古事記に曰く日本は「豊葦原中津国(トヨアシハラノ ナカツクニ)」、葦原は古代稲作の適地です。そんな古代の稲作文化を思わせる黄金色の葦原が手賀沼には今も残っています。


「水辺にはアシやヨシが生えている」とは同じ葦(アシ)のことだそうで、”アシ=悪し”につながるので”ヨシ=良し”とも呼ぶようにしたらこれが広まったらしいのです。葦は稲作良地の代名詞であり、米は貨幣に相当します。その米を主要貨幣として扱う人の営みが”社会”であることから、古事記の古国名に繋がるのだと思います。

現代でも生活の元となるような動植物が企業のロゴや国旗などのモチーフとして使われますが、こういった裏側を読み解いていくと道端に生えてる雑草も変わって見えてくるかもしれませんね。



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