形旅『二俣城址』@静岡県浜松市天竜区
- 園家 悠司
- 2023年5月11日
- 読了時間: 2分
先週(5月6日)の大河ドラマ『どうする家康』で武田信玄が家康のいる浜松城を無視して、西へ進軍しました。浜名湖東岸の堀江城を取られて三河からの海上ルートを遮断されるか、はたまた本拠地の岡崎(家康の妻子がいる)に攻めいられるか、どちらにせよ武田軍を追撃しなくてはなりません。三方ヶ原(広い台地)の先は山間の崖道、ここを武田軍が通る時に後ろから迎撃すればたとえ大軍と言えども勝機はある!…しかし、それをも見越して三方ヶ原に陣を引き待ち伏せする信玄に家康軍は完膚なきまでに叩きのめされ浜松城へ命からがら敗走しました。
二俣城はそんな「三方ヶ原の戦い」の一つ前に武田軍に堕とされた城です。暴れ川で知られる天竜川の付け根、信濃からの入口にあるこの城は遠江国を攻略するための要衝でした。二俣城は武田軍に水の手を切られて降伏したと伝わりますが、これにより信濃からの補給路が開通したことに加え、北部の憂いが無くなったことで武田軍は浜松城を落とさず、浜名湖周辺の城を攻めることができるようになり、翌日の三方ヶ原の戦いへと進んでいきます。
二俣城は他にも徳川家による奪還、築山殿・嫡男信康の一件など多くのドラマがあった場所です。その後、大久保忠世(『どうする家康』では配役:小手伸也さん)が城主となります、が本能寺の変後は徳川の勢力伸張により長野の小諸城にいることが多かったそうです。なお二俣城は隣の鳥羽山城とセットの「一城別郭」の城として有名ですので、こちらも是非行ってみてください。
現在では山間の何気ない山城のように見えますが、過去の勢力図や交通経路などを読み返すと意外な場所が重要拠点だったということはよくあります。目の前に広がる景色の過去とできれば未来とを想像すると"土地を観た"と実感が湧くのかもしれません。









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