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形旅『玉浦(たまのうら)』@千葉県九十九里浜

  • 執筆者の写真: 園家 悠司
    園家 悠司
  • 2024年5月1日
  • 読了時間: 1分

源頼朝が浜の長さを測る際、矢を放って落ちた距離を1里として測量してその合計が99本だったという逸話から、九十九里浜と呼ばれるようになりました。ちなみにここでの数値は1里=3.9kmのことではなく、1メモリという事だそうで、九十九里浜は66kmなので、実際は17里ですね。


日本書紀には豊かな海の幸に恵まれた浜という意味の「玉浦(タマノウラ)」という呼称で残っています。玉浦の名前は一宮町の玉前神社(タマサキ:玉浦に面するの意)として残っています。

古代では現在よりも4mほど海面が高く、九十九里浜は歪な海岸線だったそうです。陸には湿地が広がり葦が群生していました。古代において広大な葦原は稲作の最適地であり、海では黒潮のおかげで魚がよく採れます。千葉は北海道・愛媛と並んで大変湧水の多い地域でもあります。

また、千葉北部・中部は下総・上総と呼びます。「総=麻」のことで、麻は塩分を含んだ土地が良いらしく、千葉における海の重要性を感じることができます。









 
 
 

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