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形旅『息栖神社』@茨城県神栖市

  • 執筆者の写真: 園家 悠司
    園家 悠司
  • 2023年5月2日
  • 読了時間: 2分

本社のある神栖市は神之池と息栖神社から付けられた市名です。外浪逆浦から流れ出る常陸利根川沿いに一の鳥居を構える息栖神社は江戸時代中期、東国三社参りで大層な賑わいを見せていたそうです。東国三社は千葉の香取神宮、茨城の鹿島神宮と息栖神社のことで、昨今また御朱印巡り・パワースポットとして注目されています。息栖(いきす)の名前は古文書で「おきすのやしろ」と記されている通り、元は「おきす=沖洲」に由来すると考えられています。縄文海進以来中世まで現在の利根川沿いの地域は手賀沼、印旛沼、霞ヶ浦、北浦が全て一体となった大きな内海「香取ノ海」が広がっていた地域です。息栖神社の創建がおよそ4~5世紀頃とされていますので、河口付近の中洲に置かれた拠点が息栖神社の原型だったのだろうと推測されます。

息栖神社の主祭神:久那戸神 (くなどのかみ)は社伝では、鹿島神・香取神による葦原中国平定において、東国への先導にあたった神として伝えられ、その様子は12年に一度東国三社にて行われる御船祭にて見ることができます。息栖神社の神が船の化身となり、鹿島の神とを連れて香取の神に会いに行くという、国譲り伝説に由来する祭事です。何だか神武天皇の東征の際にも八咫烏という案内役がいたことを思い出しますね。それぞれこの案内役が有能であったことにより、ヤマトの神々は目標を達成しているのは面白い共通点ですね。
















 
 
 

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