top of page
検索

形旅『鹿島神宮』@茨城県鹿嶋市

  • ysky5549
  • 2023年5月3日
  • 読了時間: 2分

鹿島神宮は西暦927年(平安時代)にまとめられた延喜式神名帳に伊勢神宮・香取神宮とともに「神宮」とされた最高位の神社ですが、西暦645年(奈良時代)の大化の改新がこれに大きく関わっているという説があります。乙巳の変で中大兄皇子と中臣鎌足が政権を奪取します。中臣鎌足はのちの藤原家の祖に当たる人物ですが、出身は常陸国鹿島(茨城県鹿嶋市)とする説があり祭官の家柄だったようです。加えて鎌足の子、藤原不比等は日本書紀編纂の責任者ですから、ここで中臣氏の本拠地である東国の鹿島・香取の神を大和朝廷において重要な神に替えることは出来たかもしれないのです。

鹿島神宮の御祭神は武甕槌命(タケミカヅチノミコト)という武神です。その佩刀は韴霊剣(とても長い直刀)が古来より伝わってます。『古事記』の神武天皇が東征(征夷)の折には、その力で悪疫を退散させ、平和をもたらす特別な剣として描かれています。これは地理的にも東国の端である鹿島神宮が香取の海を挟んで対岸にある香取神宮と外海・内海を分ける門番の役割かつ、東北侵攻への前線基地として機能していたことによるものと思われます。そのためか、普通南を向いているはずの本殿が鹿島神宮の場合は北側を向いて睨みを効かせています。

また、「鹿島神宮の宝物館には「悪路王の首」と題された木製の首が展示されています。この悪路王とは、征討された蝦夷の大将で、蝦夷の英雄、阿弖流為(アテルイ)のことだとも言われています。(鹿嶋デジタル博物館より引用)」何だかこれでもかと言うほど武闘派な神宮ですが、こういった神話から現代への歴史の繋がりを読み解いていくのも神社巡りの楽しみ方かもしれませんね。













 
 
 

Comments


bottom of page